『余白日和』 第一話 お父さんのオリンパス
2026.07.24

人には、ときどき余白がいる。
予定のない午後だったり。
知らない町を歩く時間だったり。
僕がやっているのは、そんな余白のお手伝いだ。
ネットには、
「写真散歩、お付き合いします。」
そう書いてある。
写真を教えてください、という人も来る。
誰かと話したいんです、という人も来る。
どちらでも構わない。
歩いているうちに、だいたい予定は変わるから。
今日のお客さんは―。
四十代くらいだろうか。
肩から小さなショルダーバッグを下げている。
「林さん。」
そう言って鞄から取り出したのは、黒く少し擦れたオリンパスOM-1だった。
革のストラップは少しくたびれているけれど、大切に使われてきたことが分かる。
「父のなんです。」
僕はそっと受け取る。
手に馴染む、大きさだった。
「いいカメラですね。」
OM-1を奈緒さんへ返す。
僕らは、そのまま谷中の路地へ入っていった。
夏の谷中は、ゆっくり時間が流れる。
古い家の軒先では風鈴が鳴り、
猫は石塀の影で昼寝をしている。
蝉だけが忙しそうだった。
奈緒さんはOM-1を首から下げて歩く。
しばらくは、お互い何も話さなかった。
雑貨屋さんの店先に、ガラス瓶へ一本だけ飾られた向日葵。
奈緒さんが初めてカメラを構える。
カシャ。
静かなシャッター音だった。
「いい音ですね。」
奈緒さんが小さく笑う。
「父、この音が好きだったんです。」
少し歩く。
商店街では子どもがアイスを落として泣いていた。
お母さんは笑いながら新しいアイスを買っている。
その様子を奈緒さんが眺めていた。
「私も昔は、ものを作る仕事がしたかったんです。」
僕は黙って歩く。
「デザインの学校を出たんです。」
蝉の声が続いている。
「でも、そのまま商社の事務に就職して。」
少し笑う。
「気が付いたら十八年でした。」
風が通り抜ける。
僕らは歩き続ける。
小さな文房具屋の前で奈緒さんが足を止めた。
店先には、手描きのPOPが並んでいる。
色鉛筆。
便箋。
万年筆。
どれも少しずつ字が違う。
「かわいい。」
思わず漏れた声だった。
「こういうの、好きなんです。」
その顔は、少しだけ学生の頃に戻ったようだった。
「そのカメラ。」
僕はOM-1を見ながら言う。
路地に一本、西日が差し込んでいた。
誰かの自転車かご、買い物袋のネギが少し揺れている。
奈緒さんが夢中でシャッターを切る。
カシャ。
もう一枚。
カシャ。
「何でもない景色なのに。」
そう言って笑う。
「何でもない景色だからかもしれません。」
僕が答える。
奈緒さんは少し考えてから言った。
「私、デザイナーで有名になりたかったんです。」
蝉が鳴く。
「でも、有名でなくてもいいのかもしれませんね。」
僕は黙って歩く。
「お店のPOPとか、本のしおりとか。
誰かが少しだけ嬉しくなるものなら。」
夏の風が吹いた。
「私にも、まだできることがあるのかもしれません。」
駅へ戻る頃には、空が少し茜色になっていた。
奈緒さんはOM-1を首から掛け直す。
「このカメラ、しまわないことにします。」
そう言って笑う。
「父も、歩くのが好きだったんだと思います。」
「そうでしょうね。」
「今度は私が歩きます。」
僕はうなずいた。
「また、お付き合いします。」
奈緒さんは小さく頭を下げて、改札の中へ入っていった。
首から、小さなオリンパスを揺らしながら。
今日の一台
OLYMPUS OM-1(1972年)
1972年にオリンパスから発売された35mmフィルム一眼レフ。設計を手がけたのは米谷美久(まいたに よしひさ)。
当時、一眼レフは「大きく、重いことが当たり前」と考えられていた。しかし米谷は、「途中で持ち歩くのが嫌になってしまうようなカメラでは意味がない」と考え、小型・軽量化に挑んだ。
完成したOM-1は、小さなボディでありながら広く明るいファインダーを備え、世界中の写真家や旅人に愛される名機となった。
持ち歩きたくなること。
それもまた、カメラにとって大切な才能なのかもしれない。
noteでは、
写真散歩の物語
カメラを持って歩く人も。
持たずに歩く人も。
毎日の景色の中には、小さな物語が隠れています。
悩みを抱えた人。
人生の節目に立つ人。
何気ない一日を過ごす人。
そんな誰かと一緒に街を歩き、写真を撮り、ときどき言葉を交わす。
写真は、答えを教えてくれるものではありません。
でも、立ち止まるきっかけや、少しだけ前を向く勇気をくれることがあります。
この連載は、そんな「写真散歩」の、小さな物語です。
読み終えたあと、いつもの帰り道が少し違って見えたなら。
それが、この物語のいちばんの願いです。








